夜は自己嫌悪で忙しい
大学時代、友達と夜遊びといえば木屋町のクラブに繰り出す事だった。
大学で着ていったら、死ぬ程浮くであろう総レースのワンピースに、ヒール。
普段すっぴんなの?レベルの化粧なのに、がっつりとアイラインを引いて、濃いめのリップを塗る。
The日本の風景からそう遠くないのに、IDを見せて地下に潜ったら、薄暗い空間に爆音で音楽が流れている。
このギャップと非日常的な光景が、病みつきだった。
特にダンスも習った事も無いので、踊るっていうか揺れているだけなのだが、とても心地よい。普段は地味な学生生活を送っている。キラキラ女子なんかとは懸け離れた喪女だ。なのに夜にはクラブに来て遊んでいる。誰に言う訳でもないけど、私にはこんなギャップがあるんだぞって、ホントはイケてるんだぞって、勘違いをしていた。
北海道に帰ってきても、
あの病みつきがリフレインしていた。
でも一緒に行く友達がいない。
だから一人で行った。
これが、大失敗の元となる。
週末の夜なのだから、大勢のパリピ達が集まって居るんだろうと思っていた。夜中12時。
がらっがら。
仕方ねぇな、と思ってテキーラベースのカクテル飲んで椅子に座ってた。
はいはい、ナンパ待ちですよ。っての丸出し。
ほんでナンパされるわけ。旅行で来てた大学生の子だった。
カウンターに移動して、飲んだ。
彼の就職先のことやら、昔の彼女の話しを聞いた。詳細は覚えていないし、ましてや自分が何を喋ったのかなんて、ちんぷんかんぷんだ。
で、クラブ出て近くの居酒屋で飲み直した。
もう何にも覚えていない。何時だったのかも分からない。
気付いたら、ホテルに居て、ヤッてた。
いわゆるワンナイトというやつだ。
お久しぶりのご開帳だったから、入らなくて痛かったのだけ覚えている。処女に戻ったんかレベルだった。
明け方、「帰るからね」と言われてキスされたのだけ覚えてる。
11時に起きてみて、やった事のアホさと虚しさに首を絞められた。
と、同時に私はサマンサでは無かったんだと思った。
サマンサはセックスアンドザシティに出てくるキャラクターで、愛というものを信じない。セックスをスポーツのように捉え、いい男を見つけると次々とハントしていく。
去年も、こういった行きずりで間違いを起こした。しかもこの時も泥酔してた。
お酒は判断力を鈍らせる。
自分はお酒に強いと、驕りの気持ちがあった。
だからバンバン飲んでいた。完璧に酔っ払っていた。そして着いていった。後に残ったものは果てしない虚無感だけだった。
彼氏がいた事が無いのに、こう言う事だけを繰り返していくから、好きな人とヤる感覚が分からない。完全に拗らせている。
ワンナイトして、もしもなにも感じていなかったら、次も知らない誰かとヤると思う。
けど、実際は後悔や虚無の念が残っているのだから、この経験を戒めとして、次は好きな人と。と心に決める事ができた。
スポーツのようにセックスしてる人を批判する訳でも何でもないけれど、私にはこの考えが合わなかった。自己嫌悪しか残らなかった。
数をこなせば、麻痺しそうだけれども、そこまでしてセックスが好きな訳でもないし、リスクが高すぎる。
はぁ、がんばろ。
心がburnした
風と共に去りぬ を観た
一言でいうと、胸焦がれた。
1939年公開
南北戦争直前の、南部を舞台にした映画。
大農園の娘で、貴族階級のスカーレットの半生を描いた物語。
上映時間、約4時間の超大作
初めにびっくりしたのがね、
え?これ約80年前の映画なん?
完成度バリ高くね?(小並感)でした。
映像がそんなに古めかしくない
デジタルリマスター版を観たからか?
エキストラもばっこばっこ使ってるし、
煌びやかなドレスもふんだんに出てくる。
家が焼け落ちる大迫力のシーンなんかもありで。爆発もありのドンガラガッシャーンよ。
金、かかっとんなと。
惜しげもなく金つこてるな。と。
1939年、世界恐慌から約10年、すでに第二次世界大戦始まってるけれども。
娯楽にこれだけの資金を投入できる辺り、やはりアメリカは大国だったんだなと。The U.S.の底力を見せつけられた。
てか、この時代はもっとちゃっちぃ物しか作れないだろうってどこかで思ってた私を恥じたい。
まぁ、この映画が何故これだけ私の胸がburnしたのかと言いますとね、
スカーレット・オハラ演じるビビアン・リーのその美貌ですよね。たまらん美人。
あれに誘惑されて落ちない奴いんの?落ちんやつは修行僧かなんかなの?
ってほどビューチフル。上目遣いのシーンとかね、まつ毛バッサバッサでね、私が惚れるかと思った。喪女の枯渇したハートでも潤すかわい子ちゃん。それがビビアン。
でもねー、このスカーレットがまった性悪女で。計算高くて、自己中な女っすよ。
自分が可愛いの知ってるんだもん。色んな男に色目使うの。同性からは嫌われる、よくいるタイプっすよ。
普通、こうゆう女って主人公というか、主人公を苛め倒して最後は不幸になるヒール役の性格なんだけどね。このヒールが主人公張ってるので、なんだか新しかった。
でもね、スカーレットが本当に好きなのは一人だけ。でもそいつには絶対に振り向いて貰えない。情熱的なまでにアプローチするけど、振り向いて貰えない。。。あはれ、、、
振り向いて貰えなくて、ヒスってた時に出会ったのがレット。
あほほどダンディ。一瞬にして私の心臓をぶち抜いていった。
激渋い。
レット演じる、クラーク・ゲーブルは
風と共に去りぬに出演したのが30代後半らしく。。。
しっぶ。50代かと思っとったわ。
昔の人って、実年齢+20歳で見えるよね。なんでだろうね。
現代人が子供過ぎるのだろうか。
とにかくね、レットは高飛車で高慢ちきなスカーレットの心理を全て読取ってんの。
大人の余裕がある男。大好物です。
まぁ、色恋沙汰にうつつを抜かしている間にも、
南北戦争がひしひしと押し迫ってくるのですよ。
スカーレットは戦時中、アトランタに住んでいたんだけれど、アトランタに北軍が進駐するのがわかって、命からがら故郷のタラへ帰るんです。
でも、帰ってみるとそこは自分の知っている故郷ではない。無残に破壊され尽くしている。
スカーレットはこの時、畑にあったわずかばかりの人参を引っこ抜いて、土のついたまま貪り食べて、
「もう飢えに苦しむことは2度としない」
と高らかに夕日に向かって宣言をするわけです。
そっから馬車馬の如く働くんですね。
高慢ちきで高飛車、だけど一途。それ故に一本気でどんな困難にも立ち向かっていく強さがある。
困難は終戦の後にも、立て続けて起きて行く。それでも立ち上がって、前を向いて歩いていく。かっこよすぎんか?
ほんでな、映画の最後に
Tomorrow is another day.
と言うの。明日は明日の風が吹く。的な。
もうね、俺氏、
うぉぉぉおおおおおどぉおおぉおお
て感じね。
これが元ネタかぁ!!!!!
みたいな。
情熱的に生きていくスカーレットに
心奪われた晩冬の夜でした。
脳内お花畑
2月の下旬に、頭の片隅にマスカット大の悩みができた。
股から血が出ない。
そう、月に1度の血祭りウィーク。
ルナルナ先輩によると、予定日からもう3日は経っていた。
まあ、こんな月もあるよな、と思っていた。
それから1週間経った。3月に入ったけれど、まだ血が出る気配が無い。
・・・おかしい。自慢では無いが、ちゃんと一定周期で来る事が自慢だったのに。
何か私の記憶の無いところで誰かと関係を持ったのだろうかと疑心暗鬼に陥った。
この頃には悩みはマスカット大からメロンパン大に昇格した。山崎製の5個入りで150円くらいのものではなく、ローソンやセブンイレブンに売っている1個108円のサイズだ。
仕事をしていても、セックス・アンド・ザ・シティを見ている時も常に、頭の半分はこの悩みだった。
「はぁ、今このフロアに生理中の人は何人いるのだろう」とか
「はぁ、このエピソードのキャリーはやけにカリカリしているけど、生理中なのだろうか」など。
念願のララランドを観ていても、「今この瞬間、生理が来たらどうしよう」と考えて、映画に集中できなかった。杞憂に終わったが。
いよいよ2週間経っても奴は現れなかった。自分の中に留めておくのは辛くて、先輩に打ち明けたら、私よりもっとハード経験があるらしく、60日以上来なかったら病院に来てくれと言われたそうだ。
あ、なーんだ。と思った。
まだまだ余裕じゃねえか。
悩みを手放した瞬間、物事は解決する事が多い。
今朝、用を足していると、股から血が出てきた。
私の脳内はカンヌ国際映画祭でパルムドールを取った映画並みのスタンディングオーベーションだった。
「おめでとう」「よくやった」「ブラボー」
そんな祝福の声が聞こえてくる。中には涙を流す人もいた。
そして、色とりどりの花畑で、花輪をつけて白いワンピースを着た私が、走り回って生理が来たことを両手をあげながら喜んでいる姿が思い浮かんできた。
心の平穏が、戻ってきた。
一人映画の話
大学時代、下宿先の近くに映画館があった。
チャリで5分くらいだし、なんといっても"学割"という最強の切り札も持っていた。
レディースデーに行けばもっと安く観れる。
マッドマックスは感動して、字幕版で2回は行ったし、4Dバージョンで再映されると聴けば、一目散に映画館へ駆けつけた。
映画鑑賞のミソは"一人"であることだった。
私は本当に思いつきで行動するので、ふと「この映画観たい!!」と思った瞬間、上映時間を調べてフラッと行く。友だちとスケジュールを合わせる暇なんてない。思い立ったが吉日。やりたいことはすぐやらないと、いてもたってもいられない性質だ。
この一人映画の習慣を大学の友達(男)にいうと、
「それ、やべえよ」
と言われたことがある。
むむむ。。。
何がやべえのか全く分からなかった。
その時は、映画は友達を誘って複数人で観るものだよ。
と暗に言われたような気がした。
なんで一人で観ちゃいかんの?
映画なんて、上映中は話はしないじゃんか。
そしたら一人で観にいくのも二人で観にいくのも変わらんじゃんか。
逆に映画一人で観れないやつ、このさき生きてけないって。
と思っていた。
なんか今になってみたらちょっと分かる。。。
わしは個に固執する。自我が強くて自意識過剰。
わがままで協調性の欠片も無い。いつ如何なるときも急速165km/hで自分をそのままド直球で貫こうとする。
やりたい事があれば、絶対にやり遂げる。それが例え一人でも。
それがいい所でもあるけど、柔と剛だったら、剛しかない。ただのモーレツババア。
持ち球はストレートしかない。フォークやカーブなんて投げられない。
そうゆうのを、見透かされていたような気がする。
球種を増やす事で、なんだろう、もっと人付き合いだったり世渡りが上手になれることはよーーく分かる。気がする。
その一方で、分かる人には分かる気がする。
わっかいな。
見終わった
今宵、遂にSex and the cityの全6シーズンの視聴を終えた。
シーズン1を見始めたのが、
大学4年の暇すぎてしゃーなかった今頃なので、
ちょうど足掛け1年という計算になる。
シーズン6がアメリカで放映されたのが2004年とのことで
全シーズンが終了してから13年は経つことになる。
干支が一周ちょっとしているのだ。
なのに、未だに根強いファンはいるし、私もその一人と晴れてなった。
なんでここまで人気なんだろう。少し考えてみた。
生生しいまでのリアル女子会
一番の要因はこれではないかと思う。
毎回4人で繰り広げられる女子会のシーン。
自分達がデートしている男について発表し、
その他3人のオーディエンスの意見が発せられ
ディスカッションが進行していく。
リアルな女子会を視聴者が覗き見するスタイル。
ほんで、話の内容が結構なあるあるで思わず視聴者も共感する。
太古の昔、男が狩をしている時代。
女は採集と子育てをし、集団で生きる為に培った能力が”共感”だそうだ。
群れから外れる事=死 を意味する。
自分の子孫を残す為に備わった共感能力が何万年の時を越えて
ドラマの演出において大きな役に立っているとは。。。
人間て素晴らしい!
ほんで、ディスカスの内容があるあるなのと共に
くっそ生生しいんよね。特にサマンサの話が。
日本では夜中2時に放送しないといけないレベル。
現地で何時にやってたのかは知らんけど、
R指定とか無かったんだべか。
その次が、女の生き方だよね。
シーズンの後半になるにつれて
遊びまわっていた女4人が、それぞれのThe One(運命の人)を見つけていく。
その人と結婚したり、子供を授かったり。。。
結婚するにせよ、子供ができたにしろ、養子縁組をするにしろ
彼女たちはそれぞれのライフステージで今後の人生を左右するような決定的な決断を下していかなければならない。
この難しさやたるや、、、
この決断を後延ばしにしていく事がタラレバに繋がっていくのだと思うと、なんだかやるせない。
社会に出るまでって、割と皆同じようなレールを歩くわけ。
生れて、幼稚園・保育園行って、小中高大学行って。
ほんで社会に放出されるわけ。鮭の稚魚のごとく。
何年か海で放浪して、来るべき年数が経てば川に戻って産卵をする。あるいは猟師に捕獲されるしエゾヒグマに素手でキャッチして食われる事もある。
中には早くして川に戻ろうとして、その時に獲られるのは鮭児とも言われる。
皆と外れた時期に獲られたら、そいつは時知らずになる。
生れてからある程度は同じ道を歩むけれども、
放流された後の行き方は鮭みたいに千差万別ある。
違うライフスタイルの女はこの世に五万といるわけで、
どうしても比べ、何が自分の最良の選択なのか考える。
このドラマで最も取り上げられていた比較基準は独身女であるかどうかだ。
生生しいまでの女子会の描写と、選択をする際の心理描写。
完璧に描ききっているこのドラマは、現代の独身女のバイブルだと思う。
何が言いたいかって、
私もセックスコラムニストになって、セレブ男と結婚したい。
以上だ。
ダイエット3ヶ月目報告
やぁやぁ。
こんなもんじゃい。
全体的にサイズが変わってない割には
体重が2キロほど落ちてた。
どゆこと?
筋肉量落ちてるってこつ?あ?
むくみが取れた?あ?
2月は足ぱかを毎日100回する事に注力した。ちょっとお腹が硬くなった、、、かな?
ちなみに食事制限はしとらんです。
美味しい物を美味しく心行くまで食べてます。
3月はブリッジを毎日1分はやろうかな、と。
あと、6月にハーフマラソンの申し込みをしたから、それに向けてトレーニング始めようかなと。
こりゃあ痩せすぎ待った無しですな。
びぼでぃに、俺はなる!
押切姐さんって天才じゃない?
土日、暇すぎて御用達の市立図書館へ行って参った。
前からちょっと気になっていた
押切もえの『浅き夢見し』があったので借りてみた。
25歳の売れないモデルの瞳が、屈辱的な経験をした事により、モデルとして再起を図るストーリー。
ダイエットの描写がね、グサグサってきたよ。
物語の初め、主人公は自分にかまけてぽっちゃりなわけ。172cm66kg。
んで、ダイエットを決意して、口にするものに気を遣い、運動もするようになるのよね。
ほんで、物語の中盤にはモデル体型を手に入れるわけなんだけど、その頃にはダイエットの意識が習慣化されているのよね。
最初はキツイし辛いけれど、慣れればなんてことない。ダイエットのミソって慣れるフェーズまで耐えられるかどうかなんよね。
この大切さを押切姐さんは私に問いかけてくれたわけ。ありがとう、押切姐さん。
あと、物語序盤のオーディションのシーン。
他の子達が可愛くて若くて細くて。
自分に全く自信がなくて、自分の力を発揮できない。
だから審査員の反応もイマイチ良くない。
自分はダメだ、自分はダメだって自己嫌悪に陥る悪循環。
私の就活の時に似ていて、なんとも胸が詰まってしまった。
なんかねー、スピリチュアルなものは信じない主義だけれどもねー、
やはりその人のオーラってものはあるんだよね。
自信があれば、覇気があるように見えるし。
逆に自信が無ければ、ど根暗オーラが漂っているし。
はぁ、自信の出し方教えてよ美輪さん。
まぁ、この作品は厳しいモデル業界を生き抜いてきた押切姐さんだからこそ、とても説得力があったし、モデルでもなんでも、自分の夢を叶えたかったら、気を強く持たないといけないんだな。と。
いや、押切姐さん、美しくて文章も書けて絵も描けて。旦那は涌井だし。
多才すぎるお、、、わしにもなんか一個わけてお、、、